奈良時代の古記録を編纂した『大日本古文書』には、仏像や建物の一部を彩色する際に用いた「朱沙、丹、烟子、緑青、黄土、赤土、白土」等の材料が記載されている。
「朱沙」は、「朱」と「沙」に分解できる。「朱」は訓読みで「あけ」「あか」と読むことができ、「沙」は「すな」「いさご」と読み、細かく砕かれた事を意味し、粉末状態である事を示している事から推して、「朱沙」は赤色の顔料であると考えられる。古文書に記載された「朱沙」は「朱」とあることから現在使用されている岩彩(岩絵具)の水銀朱・辰砂に相当すると考えられる。水銀朱・辰砂は少し黒色が混じった鮮明な赤色である。「朱に交われば赤くなる」は、「朱色」の水銀朱に染まれば真っ赤になる事を物の喩えに使った諺である。
色鉛筆や水彩絵具には「しゅいろ」と呼ばれる色があり、その色は黄色が混じった赤色で、錆止塗料でお馴染みの赤色「鉛丹色」に近い。『大日本古文書』にも鉛から作った「丹」と呼ばれる顔料が記載されており、これが今の「鉛丹」に通じる顔料である。「しゅいろ」を「朱色」と漢字表記した時、真っ赤な「朱」の色である水銀朱を示す色と解釈でき、黄色い赤「鉛丹色」の色である「しゅいろ」を表していないことになる。奈良時代の先人達は水銀朱を「朱」鉛丹を「丹」として区別認識していたが、どうやら我々現代人は年月と共に先人達の知識・知恵までも失いつつある様だ。
[建築情報センター委員会 神保 勲] |