子供のころ、短くなった鉛筆を最後まで使う鉛筆ホルダーや鉛筆削り用の小刀は必ず筆箱に入れていた。試験のときは前日に全部キンキンに削りなおし、大事にキャップをして準備した。いつの間にか鉛筆はシャープペンに変わり、粗品でいただくもので溢れている。お気に入りのセーターは袖の半分が違う色の毛糸で編まれ、ちょっと自分としてはおしゃれに思っていたが、実は母親が古いセーターを編み直し足らなくなったので継ぎ足したものだった。お金もなかったし既製服も今のように安くかっこいいものがなかったので再生した手作りが普通だった。「勿体無い」がごく普通の日常で、ものを粗末に扱えるほどなかった時代でもあった。
「消費は美徳なり」の時代も経て、いま「地球環境」が盛んに言われている。ノーベル平和賞受賞・ケニアのワンガリ・マータイさんは「ごみの削減・再使用・再利用」の精神として日本で「MOTTAINAI」に感銘を受けたといわれたそうであるが、振り返ってみれば材が貴重だった昔の家は、そのまた昔の家を解体したときの材をしばしば用いている。伝統の風呂敷も見直されているが、「もったいない」を考えると、なんだかワクワクしてくるのは私だけでしょうか。
[建築情報センター委員会 水畑眞知子] |